13日の管総理の脱原発会見からマスコミが浮き足立って騒いでいます。
「原子量発電に頼らないで現在の社会が維持できるのか?」という問いに対して学者さんや評論家の言いたい放題が面白かったり、悲しかったり・・・これだけ悲しい現実を、絶対におきませんと言われてきたことが現実に進行していて、4ヶ月たっても収拾がついていない現状をどう考えるべきなのでしょうか。
もしかして、レベル7の事故になったのに、意外に被害は深刻でない・・・なんて考えているのかなっと思ったりして、この国民性はなかなか不可解です。
「原子量発電に頼らないで現在の社会」はみんなの意識がそちらに向きさえすれば、「十分に可能」だと考えます。 そちらにみんなの意識が向きさえすれば、ビジネスはあっという間に商魂たくましく、様々な新商品 サービスを社会に提供するはずです。 政治の役割はその 「向き」 を的確に示すこと。
建築家の安藤忠夫が「日本の3度目の奇跡」と言う言い方で震災からの復興を提言していますが「原発に頼らない社会インフラの構築」と「世界に先駆けてのクリーンエネルギー立国」こそ日本の奇跡に値する事業だと思います。
まず、原発を取り巻く利権構造を徹底的に暴くこと、そして電力会社の悪質な隠蔽体質を許さないこと。
信濃毎日新聞の7月10日朝刊 中馬主筆の「考」にこう書かれています。
「情報は一手に原発を所有・運営する側がにぎり、一般市民は蚊帳の外にいる。 そうした非対称な世界では情報独占者は、少しでも自分に不利になると考えれば公表しない」 この体質を変えない限り、原発はやっぱり危険である。
原発もリニアも驚くほどよく似た体質なのです。