チャンチンの木 と言ってもほとんどの人は「聞いたことがない?」と言います。
元々は大陸から入ってきた木の様で、センダン科の落葉高木。 基本的に山にはなく、人が植えた木が大きくなって残っているようです。
菜やではこのチャンチンをお鏡様の柿に加工したり、寄木のカットボードに使ったり、国産材ではなかなか他にない色目のため大変重宝しております。
ところが珍しい樹種なだけになかなか材が手に入らない・・・。
飯田の市内などには一抱え以上に成長している個体が何本かあるのだけど、市街地だけになかなか簡単には伐採できる様子でもないし、とにかくあちこちに声をかけて「真っ赤なレンガ色の木が出たら教えて!!」とふれまわるぐらいしかなかったのでした。
数年前には飯田の創造館の公園にあった大きなものが切られて、すぐに追いかけてあちこちに処分先を訪ねて回ったものの等々判らずじまい・・・。 大変残念なことをしました。
連絡が入ったのは一昨日のこと。
友人の木彫り師から「豊丘村の養護施設の作業場(=薪を作っている)にチャンチンらしき赤い木が転がっている」との情報が寄せられ、すぐに飛んでいって見るとありましたありました薪にされる寸前のチャンチンです。
有難いことに園長先生は以前浪合の校長先生をされていた方で、事情を話すと快く譲って頂く事が出来ました。
薪のサイズに短くされてはいるものの、小物を作る分には十分に活用できるこの丸太。
東北地方にまで声をかけていたので、地元で手に入ってくれて何よりです。
必要としていない人に取っては何でもない雑木。
「物の価値なんて全くもってこんなものだね・・・」 笑い話に出来るようなお話です。
地元の材にこだわるとか、国産材にこだわるとか、ユーザーには大した問題でなかったりするかもしれないけれど、私にとっては「気持ちがいい・・・」とか「言葉以上に大事な何か?」が伴うことだったりするのです。
「人それぞれの大事な事」言い換えれば「こだわり」と言うことなのでしょうか?