
ドタバタとしていて少々時間が開いてしまいました。
良いお天気の日が多くて助かっています。
阿智村のワクチン接種の状況も65歳以上が進んでいる様子で、そう遠くない内に私たちの順番も廻って来そうな気配です。
今日の話題は「30年前に借り浪合村営住宅」のおはお話です。

平成の大合併で阿智村に編入され、現在は阿智村浪合地区にある村営住宅。
1990年に神奈川県から長野に家族5人で移り住んだ借家です。
当時浪合村の人口は780人。 村営住宅が建つ宮の原地区の標高はちょうど1000m。
敷地は100坪ほどの畑もついて、安普請ではあるものの3DKの間取りで家賃は月額¥12,000.と格安の条件でした。
現在は真冬でも-12~3°C程度の冷え込みの様ですが、断熱材も大して入っていない壁と雨戸もないシングルのアルミサッシ+障子と言う作りで、夜に飲み残したお茶が朝、台所で凍っているような寒さでした。
但し、目の前に蛇峠山がそびえる南向きに開けた斜面のおかげで、お日様さえ出れば日中はストーブもいらない程にポカポカで過ごせます。
子供達も中学を出るまではここで過ごし、高校からは長男、次男は飯田の寮住まい、末の長女は智里の工房から学校へ通う事になります。
我々が現工房に2000年に移ってからは、義母が一人で暮らしていたのですが、昨年の春、義母が亡くなってからは 「片付け」 にとにかく頭を悩ませる事になった訳です。
自分達が置きっぱなしにしていた荷物に義母の荷物や子供たちの中学までの記録や賞状やらトロフィーやら、義母の荷物以外はとにかく20年前に時が止まってしまった状態で、捨てなければいけないけれど思い出が邪魔をして中々作業が進まないのです。
産廃業者から不用品をなんでも入れられるでっかいカゴを借り、作業を始めたのが4月の中旬。
毎日掛りきりで作業できる訳ではないのと、月家賃が安いので1月、2月遅れても「まっいいか・・・」と、とにかく中々作業が進まない・・・。
やっとの事で荷物を出し終え、ふすまと障子、網戸を張り替えも終わり、あとは畳表を新しくしてと言う所まで来たのですが、ちく40年にもなる安普請の経年劣化している壁やフローリング、雨とよ等をどうするのか?
中々簡単に「お返しします」とならない様なのです。

今日は村の担当者に立ち会ってもらって「何をどこまで手を入れる、直す?」等を相談する事になっています。
年齢的にも親の介護の話や、親が亡くなって無人となってしまった家屋の処分の話をよく聞きます。
「引越し」ではなく「片付け」の大変さに閉口し、とにかく何とか終わらせたい一心で汗を流す、コロナのせいで時間が取れる 今こそ その時の様子です。