
昨夜の中秋の名月ご覧になれましたでしょうか。
ずいぶんと前の記憶にあった「山間から上る見事な満月」を撮影しようと現場に行ってみたら、樹木が伸びて全く見渡せない状況になっていてガックリ。
結局高々と上がってきたところをパチリしました。
昨日あたりは日中の気温もだいぶ上がりました。 と、言っても22,3℃。
さすがに9月も終わろうとしている頃ですから日の出もだいぶ遅くなり、夕日などはまるでつるべ落とし。
ススキもしっかりと穂をたなびかせ、秋の空気感がいっぱいです。

ニュースなどでも伝えられている通りキノコ類は全くと言ってよいほど姿を見せず、虫の音もたよりないぐらいにしか聞こえない 変な秋 です。
今後の紅葉も期待できるはずもなく、目立つのはナラ枯れの枯れ木ばかりの状況に恐ろしささえ感じます。
来週は一度横浜まで行く予定。
都会はまだまだ暑いのでしょうか?
コロナもインフルも相当に蔓延している様なので要注意であります。
台風の話も聞かない穏やかな変な秋。
サンマは高くて手が出せませんが、栗ご飯ぐらいは食べたいものです。
10月もどうぞお元気でお過ごしください。

朝晩はすっかり秋めいてまいりました。
しかし日中、お日様が高いうちはまだまだ夏の日差し。
昨日も所用で飯田に出かけ、その気温の高さにびっくり致しました。
前の日曜日はかざこしの公園でワークショップ。
水曜日は町田から来た中学生の木工体験を指導したのですが、暑いのと流行っている様子のインフルエンザにビクビクの有様です。

今日からはシルバーウイークの3連休。
お盆に予定が合わず帰ってこれなかった娘一家が来る様です。
テントを張って、バーベキューをして、今年の場合真夏よりも過ごしやすくて良いかもしれませんがどうなりますか?
それにしても例年ならばうるさいぐらい聞こえる「虫の音」がほとんどしない?
キノコの話もほとんど聞かないし、一体どうなっちゃているんでしょう???

来週には秋分の日も控えだいぶお日様も低く成って来ていますが、なんとも言えない季節感です。
紅葉は?キノコは?そしてこの冬の雪はどうなるのか・・・。
考えてもしょうがない事ではありますが気になる所なのです。
自宅の庭でおじいさんが大事にしていた松の木だとか、子供の誕生記念に植えた桜だったり、増築だったり整理だったり大切にしていた樹木を伐採しなければならなくなった時「何かの形にして残したい・・・」と相談を受けることがあります。今までも、結婚式の引き出物に加工したり、テーブルにしたり、「お墓に生えていた木で椅子を作ってくれ」なんて注文もありました。
最初に製作の相談を受けたのは、3年ほど前だったようなお話なのです。
浪合地区の標高1000mのYさん宅の山桜の木。
娘さんの小学校の入学記念に植樹した木だそうです。
日当たりもよく、土地とあったのか娘さんともどもすくすくと成長し、娘さんが20歳になる頃には「家にかかってきて支障が出そうなので伐採したい」となったそうです。
でも「せっかくの記念樹なので何かにして残したい・・・」とのご相談でした。

樹齢はどうも15,6年。
長さ5,60センチの薪サイズに玉切りされていたものを引き取って製材、太い所で30cmぐらいはあり、とりあえず乾燥させてみて木材の素性を見ることにします。 この時は「最悪でもスプーンぐらいは出来ますよ」話していた記憶があります。
それからバタバタとふた冬を越した今年の春。
樹齢から考えると「なかなかばれそう」と思っていた材が意外や意外、なかなかきれいな状態で乾いているでは有りませんか。
お母さんと娘さんに工房まで来ていただき、相談の結果 娘さん用の3段の小引き出し(整理箱)とお兄ちゃんたちにスツールを製作する事に成りました。

もちろん限られた材料の中からきれいな所を上手に取り出したのですが、とても樹齢が十数年の木から作ったとは思えないでしょう!!。
会津地方の昔話で「女の子が生まれると桐の木を植えて、嫁に行くときのタンスを作って持たす」と言うのがありますが、実際にはかなり難しいお話です。
この小引き出し、引き出しの中の材料にもこだわりまして、浪合産の天然ヒノキで仕上げました。
今日、現物と対面してもちろ喜んで頂けました。

無理を言ってご本人にご登場いただきました。
なかなか出来そうで出来ない仕事。
自分でもほぼ満足のいく仕上がりになりました。
消耗品を作るのではなく、価値ある逸品を作る仕事。
後継者 募集しています。

朝晩はすっかり秋めいてまいりました。
それでもお日様が出てくると夏の暑さがやってきます。
膨大な草刈りも順序をつけて今シーズンの最終へと入っていきます。

いつの間にか ツルボ の花が咲き始めました。
寒暖の差が大きいので朝露がしっかりと草花を濡らしています。
先日、十数年ぶりに浪合地区の古くからの友人たちとの飲み会に行ってきました。
7,8人では有りましたが、どの方も三十数年前に当時の浪合村に移住した時から散々お世話になった方々でした。
みんな年を取り、現役からは引退したとはいえ、まだまだ元気に畑に地域の仕事にと頑張っている姿に安心しました。
1990年に神奈川から子供3人を連れ、人口780人の過疎の村に移り住みました。
最初の1年、ここから木曽上松の訓練校に通ったのが現在の 菜や の始まり。
2000年に現在地の智里の山奥に工房を新設。
実はこの段階で浪合地区(現在は阿智村浪合)との縁が切れた訳ではなく、住民票を移せたのはつい最近の事なのでした。

昨年、自分の人生の神奈川県人と長野県人の年数がイコールになり、今年からは長野で過ごした時間の方が長くなり始めました。
思えば本当にいろいろな事がありました。
移住した当初、子供の学校に保証人をつけるよう言われた事がありました。
しかもこの地域「飯田下伊那在住の人」と言う制約付き。
親戚はおろか知人もいない土地でもちろん困惑する事に成ります。
相談すると快く引き受けてくれたのは 飲み会 の方々。
その後、銀行の借金の保証人なども引き受けてくれて「恩人」以外の何者でもありません。
もちろん迷惑をかけることもなく無事にすべてはやり過ごしましたが、とにかく頭が下がります。

ただ単にIターン移住促進とマスコミも行政も宣伝していますが、なかなか一筋縄ではいかない事も沢山起こります。
現在の浪合地区は人口減少と超高齢化の真っただ中です。
全国どこでも高齢化と人口減少に悩まされれ、移住者の取り合いに終始している現状です。
「住みやすい田舎」「魅力的な田舎」 他とは少し違った魅力を発信していく努力が求められます。